【心トレ】学校に行く意味を科学的に分析してみよう!
【獲得経験値】
「どうして学校なんて行くの?」
学生なら誰もが一度はぶち当たる疑問なのではないでしょうか?僕もこの疑問を抱き、高校では本を読みながら授業を聞き流していたものです。
今回は「どうして学校に行くの?」という疑問に対する科学的な結論を解説します。
今「勉強なんて意味がない」という理由で、勉強が疎かになっている人にぜひ見ていただきたいと思います。
この記事は「学校で学んだことがいつか役に立つかもしれないから」などという抽象的なことや、綺麗事は言わないのでご安心ください。
誘惑が多すぎる時代を生き抜く唯一の能力「ワーキングメモリ」
最近では「Time is money」ならぬ、「Attention(注意力) is money」という言葉まで出てきています。
暇なときはスマホ1台でドラマもYouTubeも見ることができますし、お腹が空いたら脂っこいものがいつでも食べられます。
まさに誘惑が多すぎる時代だからこそ、誘惑に打ち勝ち目標達成するスキルは大きな価値があります。
実は学校に行くことで、目標達成に関わる「ワーキングメモリ」という能力を鍛えることができます。ワーキングメモリとは、脳のなかにある小さなメモ帳みたいなものだと思ってください。
ワーキングメモリを理解するには、神経衰弱を思い浮かべて見れば分かりやすいです。
例えば、最初にめくったカードが「ダイヤのA」だとしたら、「ダイヤのA」を一度記憶にとどめた上で、他のカードをめくっていきますよね。
このように「何かを一時的に覚えておく」能力がワーキングメモリだと思ってください。
ワーキングメモリで次々に目標を達成できる
ワーキングメモリを鍛えることによって、目標を達成する忍耐力がアップします。
しかし、「脳のメモ機能であるワーキングメモリと目標達成がどう関係するの?」と思われるかもしれません。
実はこの2つは密接に関係しています。
目標達成とは、「受験に合格する」などの目標を定めた上で、毎日の努力をする行為です。
言ってみれば自分の立てた目標を頭にメモして常にとどめておける人なのです。
頭にとどめておくのは、まさにワーキングメモリの仕事ですね。
ワーキングメモリが鍛えられている人は、「テレビやネットを見たい」と思ったときにも自分の目標を覚えておけるので、誘惑に負けず忍耐力を発揮できるのです。
学校はワーキングメモリを鍛える最高の場
学校の授業はワーキングメモリを鍛えるのに最適な場所です。
例えば、数学の問題は、問題文を理解した上で解を組み立てる必要があります。国語の問題は、小説のストーリーを記憶にとどめながら問いに答える必要があります。
理科や社会の問題も、様々な知識をインプットして使い分ける必要がありますよね。
幅広い知識がAI時代を生き抜く創造性を生む
創造力は幅広い知識と深い知識によって成り立っています。実際に、偉大な業績を残した研究者や科学者は芸術分野にも興味を示していたと言われています
例えば、天体学にも美術にも精通していたガリレオ・ガリレイ。
ガリレオは月に山が存在することを突き止めました。
月に山があるということに気づいたきっかけは美術で使われる明暗法です。
要は月の明るい部分と暗い部分にジグザグの境界があることに気づき、「もしかしたら高低差があるのかもしれない」と思ったわけですね。
ガリレオのように幅広い知識が、自分の専門分野に還元されることは少なくないのです。
ですから、数学や理科を学んでおくことも決して無駄にはならないのです。学校で学んだ多くの知識は予期しないアイデアを生むことがあります。
「能力を高めるため」と思えば内発的動機も発揮
たまに「勉強をするのはいい会社に入るため」という親がいますが、心理学的に見るといい教えではありません。
ましてや教師が「大学のため」「年収のため」なんて言っても子どもは納得できないでしょう。
(実際に学校に行くことで忍耐力がアップし、将来の年収にも影響することは知っておくべきですが、学校に行く理由=お金ではなく、=成長と考えさせるのが重要なのです。)
ここでのキーワードは、心トレでは何度も出てくる「内発的動機」です。
内発的動機は「成長したい」という動機、
対して外発的動機は「評価を得たい」という動機でしたね。
外発的動機は内発的動機に比べ、モチベーションが続きにくいといいう致命的な欠点があります。
大学のため、将来のためというのはどちらかというと外発的動機です。
例えば、「東大に入れば周りから褒められるから」というのは強力な動機になりそうですが、実際はすぐにガス欠します。
「勉強しないと怒られるから」という罰を避けようとするのも外発的動機です。
今回学んだように、学校に行って自分が興味のないような分野を学ぶのも自分の「忍耐力」と「創造力」を高めるためだと思えば内発的動機に切り替わることでしょう。
それにしても学校という環境は、
- 成績で評価する
- テストで順位を競わせる
- 宿題をやらないと怒られる
という風に外発的動機に頼りすぎです。
長ったらしい割に分かりづらい授業をするぐらいなら、その時間をキャリア教育に当ててはどうなんでしょうか?
将来やりたいことを考えさせたり、デジタルコンテンツを使った新しい働き方、知識の活用法などについて教育すれば学ぶことへの興味は沸いてくるものではないでしょうか?
あれれ?
学校教育を肯定する記事を書くはずがいつのまにか否定しちゃっていますね。
ちなみに僕は不登校を推奨はしませんが、否定はしません。不登校は落ちこぼれたのではなく、ひとつの選択に過ぎないと思っているからです。
わざわざ朝早くから学校に行って授業を受けるより、それこそ神授業などの分かりやすいオンライン講座を受けるほうが生産的ですらあります。
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