不登校・ニート大推奨!?科学的に分かった「努力」のダークサイド

陰キャのためのメンタルアップコース

今回は努力をテーマに書いていきたいと思います。一昔前では「努力をしなさい」「努力は報われるんだ!」と努力が美化されていました。

 

努力に意味はない!?受験の成功は遺伝子で決まる

受験の成功は遺伝子によって決まると言われています。

というのも大学の受験にはほとんどが記憶力でどうにかなる部分です。となるとエピソード記憶が強い人ほど大学受験には有利なわけですが、エピソード記憶はある遺伝子によって20%が決まるという風に言われています。

つまり遺伝子によって、受験が成功するかどうかは大きく左右されるというわけです。

 

努力信者はこうなる!不登校をいじめるクラスメイトの心理

僕は学生のとき不登校とまではいきませんでしたが、クラスメイトのなかには学校に来るのが難しく不登校ぎみの子もいました。

そういうクラスメイトがいると、噂を立てたり、からかったりするものです。僕は「確かにこんな人格的に破綻している人がいる環境にわざわざ来たくないよな」と不登校の子に同情していたものです。

実はクラスメイトが不登校を白い目で見る心理にも、「努力」を過度に美化する文化が影響しているのです。

 

「努力は報われる」信者ほど不合理な判断をする

実は努力を重要視する人ほど、自分が報われないことに腹を立てて不合理な判断をしやすくなることが分かっています。

 

最後通牒ゲームという心理実験があります。

  1. 二人の参加者がお金をわけ合うゲーム
  2. 二人の参加者のうち 一人が決定権を持ち、もう一方が拒否権を持ち ます
  3. 決定権を持つ人が お金の分配を決めます。もう片方は 分配が気に食わなければ拒否権を発動することができますが、拒否権を発動した場合自分への配当もなくなります

このゲームでは分配の割合がフェアでなくなるほど拒否権を発動する参加者が多くなります。例えば5:5、6:4という分配割合なら フェアに近いです。しかし7:3、8:2、9:1となってくるとどうでしょうか。

 

合理的に考えればたとえ9対1であっても、拒否権を発動してしまうと自分がもらえる額はゼロになってしまうのですから、拒否しないのが賢い戦略です。

しかし実際には拒否権を発動する人が現れます。そして性格傾向として勤勉性が高い人ほど不当な分配になったときに拒否権を使ってしまうことが分かっています。

 

つまり勤勉で努力を惜しまない人ほど、「自分が報われないのは許せない」という人なのです。

 

 

たまに学校のクラスメイトの不登校をバカにしたり、怒りを表す人がいます。しかし冷静に考えれば、その人たちに利害はないのですから責められる理由はありません。

彼らが許せないのは、「自分達が学校に来ているのに来ていない人がいるのはズルい」という心理になるからです。

 

しかし、本来学校は自分のために行くものであって、「みんなが行くから行く」ものではありません。不登校を責めたりする人たちは、人の心配をしている場合ではなく、自分の価値観を改めてみるべきです。

 

努力をしているという感覚がある人ほど、倫理的に悪いことをしてしまう

「自分は頑張って努力をしている」という感覚がある人ほど倫理的に悪いことをしてしまう傾向があります。

これは「自分はいいことしてるんだから、少々悪いことしてもいいでしょ?」という心理が働いているからです。(「モラルセイシング」と呼ばれます)

 

ある研究では、ダイエットをして「今日はほとんど食べなかった」「体にいいものを食べたぞ」という感覚のある人ほど、倫理的に悪いことをする傾向が見られたという結果が出ています。

これも不登校の人に対していじめや差別的な発言をする人たちの心理と言えるでしょう。

 

「自分はきちんと学校に行っている「社会に適合している」という自負があるため、「少々他人をバカにするのは許されるだろう」と考えてしまうのです。

しかし、学校に行っているからといって、人格的に破綻しているのなら元も子もないように感じてしまいます。

 

ブラック企業なのに辞められない心理

 努力するだけで快感を覚える

ブラック企業のなかには「努力中毒」と言えるほど努力をしてしまう人がいます。

努力中毒になるのは努力に対して快感を覚えてしまうからです。実際「自分は努力をしている!」と考えている人の脳は、内側前頭前野という報酬に関係する部分が活性化しています。

 

努力中毒に陥ると、睡眠を削ったり、生活が不安定になったりして体調を崩してしまいます。最悪の場合過労死してしまうかもしれません。人生も苦しいだけでつまらないものになってしまいます。

努力0%論の難点

さて、ここまでは努力を過度に美化する文化を否定してきました。努力を美化するのは昔ながらの価値観だと思います。

対して、最近ではうって変わって「努力はするな!」「自分の好きなことだけやればいい」という意見も見かけます。

 

しかし、こうした「努力0%論」にも難点があります。

「好きなことで成功しよう」って言われても…

多くの人は自分の好きなことなんて分かりません。

少しでも苦痛を感じたときに、「自分には向いてなかったんだ。やっぱりやーめた」となってしまうのはもったいないことです。「苦しさや努力を0%で済ませてから成功したい」というのは都合がよすぎる話です。

 

また、好きなことを仕事にしようとすると職務満足度が下がってしまうことが分かっています。なぜなら、好きなことだと期待値が高い分、期待通りでなかったときの残念感が強いからです。

「子供が好きだから保育士になるぞ!」と言って、学校に通って勉強してきた人がいたとしましょう。しかし、実際に保育園に就職すると、言うことを全然聞いてくれない子供にウンザリ、大好きだった子供が嫌いになってしまった。というのは何とも悲しい話です。

 

努力50%論:努力は報われたらラッキー

「努力」を「努力と思わない努力」に変えよう

大切なのは、「苦しいけどいつか報われる!」という幻想を持ち続けて、努力をし続けることではありません。

かといって、「好きなことだけをやってやる。僕はゲームが好きだからずっとゲームをしますよ」というのも考えものです。

 

本当に大切なのは「努力」を「努力だと思わない努力」に変えていくことです。

例えば、「ゲームが好きである」という人がずっとゲームをしているだけでは、本当にただのニートになってしまいます。

であれば、「自分が大好きなゲームの魅力をもっといろんな人に知ってもらうにはどうしたらいいか?」などと考えてはどうでしょう。こういったプロジェクトをやろうと思えば、面倒なこともしなければする必要がありますが、自分の好きなことをテーマにできる分、「努力をしている」という感覚は薄まるでしょう。

 

例えば、僕は読書をしています。読書をしていると「真面目だね」「努力かだね」なんて言われますが、努力とは少し違います。

確かに「読書は自分のためになるから意識的にしよう」としている部分はありますが、知識を得ることは好きなので苦しいものではありません。周りの人から見て努力に見えても、自分にとっては努力とは思えないので続けることができます。

かといって、「読書が大好き!」というわけでもありません。とりあえずやっているうちに「面白いかも」と思えたので続けることができています。

「努力」ではないけど、「大好き」というほどでもない努力50%ぐらいのものを見つけることがとても大事だと思います。

 

【今日のクエスト】苦痛なものはやめちゃって、ちょっと興味があるものに取り組んでみよう

【獲得経験値】

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